2010-02-26

「ジレンマ」に「反発」する中国人

 コラム「新興国市場戦略のジレンマ」をに掲載したところ、40件以上のコメントをもらった。これほど多くの中国人読者の方々から反応があったのは初めてのことだ。そしてその多くは批判や反論であった。なぜ、中国人読者はこのコラムに反発するのだろうか。一緒に考えてみたい。

 最も多かったコメントは、「ジレンマ」という考え方そのものへの反感である。ここで言う「ジレンマ」とは、日本メーカーが日本市場向けに高品質・高価格なものを造るほど、中国市場向けに低品質・低価格なものを造る「力」が弱まる、といった傾向を指した言葉である。これを中国人読者の方々は、「日本市場=高品質」vs「中国市場=低品質」という対立軸を想定して、傲慢だと見ているようだ。例えば、こんなコメントを頂いた。

■この記事は、(日本人の)過剰な自信に基づいている。問題は、過剰品質や過剰技術にあるのではなく、製品そのものにある。例えば、ビデオCDや携帯電話などで日本メーカーは失敗に終わったが、これは技術が過剰になったのではなく、新製品投入の頻度が少なく、市場ニーズに対応しきれなかったためだ。

■この記事の要旨は、「日本企業は良い製品を作っている。良い製品はいずれ消費者に認められる」ということだろう。しかし、私が見るに、消費者の違いを無視し、日本で成功すれば他の国でも成功できると思い込んだら、早かれ遅かれ挫折を味わう。実際に、携帯電話市場はそうだった。

■はっきり言わせてもらえば、このコラムの著者はまったく中国市場を理解しておらず、勝手に放言している。「中国市場では、時間的にまだ日本製品の品質や信頼性の良さを認知または理解していない段階だとも思われるのである」というくだりを読んで、思わず笑ってしまった。デジカメから液晶テレビ、自動車まで、日本の製品が中国で相次いでリコールされている現状を知らないのだろうか。(中略)先進国から来た記者の傲慢な視線で見て、自国の製品の技術が進んでいるため、他国の人間は適応できないと考えているのではないか。中国では、欧米や韓国のメーカーが日本メーカーと競争していることを忘れないでほしい。(中略)きちんと現地で調査すべきだ。

■著者は中国市場をまったく理解していない。「日本市場向けに開発された技術や製品が新興国市場では売れない---特に中国やインドなどの新興国市場で日本メーカーの技術や製品が過剰技術または過剰品質であることから顧客から受け入れられない点が問題になっている」という冒頭の文章からしてその証である。中国市場における携帯と液晶テレビを例にすると、韓国Samsung社の製品こそハイテク製品だ、という印象を中国消費者は持っている。Samsung社と比べてみれば、多くの日本の電機メーカーが中国で販売している携帯電話機や液晶テレビは技術的に果たして進んでいるのか。(中略)ハイテクだと言えるのか。冷蔵庫や洗濯機などの日本製品は言うまでもない。日本のエレクトロニクス製品に対する中国消費者の現在の印象は、「価格は高いが、技術的には欧州や韓国メーカーの製品に及ばず、品質も今一だ」というものだ。
 こうしたコメントを読んで思ったのは、日本市場向け製品の品質を落として中国市場向けの製品を造る、という姿勢が少しでも見えると感情的な拒否感を生む、ということである。確かに、日本市場向けの品質を「落とす」という考え方の背景には、日本を中心または基準とする考え方があるようにも思える。大切なのは、ゼロベースから考えて中国市場向けの適正品質を考えることなのであろう。その結果として、日本向けと中国向けで品質と価格に差が出ても、それは各市場ニーズにあったものだと自然に受け入れられるようになるのが理想かもしれない。

 製品分野で見ると、携帯電話機に関するコメントが多かった。興味深かったのは、中国市場で成功しているメーカーは携帯電話機のブランド構築を他の製品にもつなげており、日本メーカーはそこに失敗したという指摘である。代表的なコメントを一つ紹介する。

■日本メーカーのエレクトロニクス製品が中国で挫折した要因は日本メーカのアキレス腱である携帯電話にある。調査すれば明らかになると思うが、韓国 Samsung社のデジカメを購入した女性のほとんどが同社の携帯電話を使っている。彼女らは、Samsung携帯から「Samsung」というブランドを認識し、自ら詳しくない商品(例えばテレビ、カメラ、プリンター)を購入する際に、Samsungブランドを選ぶ傾向がある。携帯電話機はブランドとして消費者をつなぐ最も良い手段なのである。頻繁に買い換えるうえ、買い換えのコストも低くて、ブランドへの影響力が大きい。にもかかわらず、日本メーカーは、この分野で全面的に撤退してしまった(ソニー・エリクソンは英国の製品として考えるべきだ)。このことが、ブランド全体の競争力に影響を与えている。日本メーカーは、携帯電話という一部の市場から撤退したように見えるが、実態はその背後にある大きな市場までも失ったのである。こうした状況について、日本メーカーの中でいち早く気がついたのがシャープだ。高画質な液晶パネルを搭載した携帯電話を消費者に訴求することによって、シャープ製携帯電話のユーザーがテレビを買う際に、もっとシャープの液晶テレビに注目することになるだろう。(後略)

 コラム掲載直後は批判コメントが集中したが、時間が経つにつれ批判コメントに対する反批判も幾つか見られるようになり、議論が巻き起こった感じになった。反批判の代表は次のようなコメントだ。

■この記事には一理ある。中国メーカーは、短期利益のみ追求して長期的な「持続的イノベーション」の目標を持っていない。これが当面最大の問題だ。短期的には効果が出るかもしれないが、長期的に見れば、中核の技術がなければいずれ限界を迎える。ここで(批判)コメントを書き込むほとんどの人はエンジニアあるいは技術関係者だと思うが、まるで「スローガン青年」(注:口先だけで実行が伴わない若者のこと)だ。我が国の技術者が皆このような「憤慨のスローガン青年」になっているのであれば、先行きは暗い。他人の優れたところをなぜ認められないのだろうか。多くの電子機器の基幹部品を造っているのは日本メーカーである。韓国が技術で日本を超えたと言っている人がいるが、果たしてそうだろうか。韓国メーカーの液晶ディスプレイにしても、日本製の装置と材料がなければ生産できないことを知っているのだろうか。

■(前略)一部の過激な中国人が無理矢理に日本人にレッテルを貼り、日本人が固執で、融通がきかないとコメントしている。しかし、この「固執」や「融通がきかない」という特徴があるからこそ、日本のエレクトロニクス産業が世界のトップを走る核心技術を持つようになったとも言える。日本人は、製品の品質を非常に大切にし、製品に含まれている「誠意」を大切にしている。本当に製品を見る目のある人、品質のわかる人は、日本製品の「ゴールド」のような品質と誠意に満足している。
 このように、日本製品の「品質」をどう見るかといったコメントが大多数であったが、冷静に「破壊的イノベーション」の本質や日本企業の置かれた立場を分析するコメントもあった。

■いわゆる「破壊的イノベーション」とは、「低コスト化技術」や「小型化技術」ではない。従来の技術とS字カーブ(注:技術進歩の度合いが最初は緩やか、途中で急速に、最後は再び緩やかになるという曲線)につなげるものだ。言い換えれば、本当の破壊的イノベーションは、最終的に従来の市場に取って代わるものであり、市場の一部だけを置き換えるというものではない。日本企業の問題点は、中国と日本の両者の経済力に格差があるため、高品質を追求しながら低コストを追求するのは至難のことだと考えていることにある。このため、日本企業は、中国あるいは台湾市場に向けて材料のランクを下げてコストを下げるようなことを行った。その一方で、材料のランクが下がったにもかかわらず価格をそれほど下げなかったために、多くのコメントにあるように「価格が高い割には、品質が良くない」といった批判が噴出してしまった。こうして、価格を下げるプレッシャーが日本企業にはかかって負担がますます重くなり、日本経済もなかなか回復しないことから、日本企業は苦境に陥っている。こうした状況を打開するには日本政府の施策も大切だが、日本企業自身の努力も必要だろう。中国市場に参入することは、日本企業にとって文化や政策などに影響されるために確かに難しいことだろうが、今参入しないと、将来はもっと苦しくなるのでないだろうか(注:文意を変えない範囲で表現を修正)。

 本稿の趣旨は、中国人読者の方々の生のコメントを紹介することにあるが、最後に一点思ったのは、本来「イノベーションのジレンマ」は、ある時間的な「余裕」をもって進行するはずのものではなかったか、ということである。「持続的イノベーション」を進めているうちに過剰品質となり、「破壊的イノベーション」を進めているうちに既存顧客さえ満足するレベルまで性能が向上する。しかし、今回のこれらのコメントを読んで思ったのは、新興国市場が一気に立ち上がる中で、時間的というより空間的に一気に「ジレンマ」に突入しているのではないかということだ。一気に進むがゆえに、「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」の間に衝突が生まれ、それをどう解釈するかについてさまざまな意見が出てくるということだろうか…。

 しかし、見方を変えると「イノベーションのジレンマ」の怖さは、気がつかない内に「破壊的イノベーション」に席巻されていた、というところにあるようにも思う。その意味で、ここで紹介した厳しいコメントが「気付き」のヒントになるということは言えるのかもしれない。



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この記事を読んで、何とも情けない記者でありマスコミ人と思う。私は長年、一応は大手メーカーで開発を担当し定年退職した者だが、メーカーの実際の開発と、中国の一般ユーザーのことに対し、あまりに無理解と無知である事から発する考察と断言できる。日本の製品は長年中国で生活し、現在もなお自分でも使用したり比較したりしているが、決して「過剰品質」や「高価高級」だと感じていない。私の周囲の多くの中国大学生や、購入可能所得レベル中国人も、日本の製品に対し「本心」でそうは感じていない。「日本の製品は品質が高い」と言葉では言ってる人でもだ。日本の記者たちの北京で接する人間は、ある特定の立場の特殊な人々と多く接するが、これら製品を頻繁にしかも、知識レベルも高い大学生などのユーザー層人脈や付き合いが少ない。日本のアナリストやコンサルティングの連中もしかりだ。だから見方がどうしても偏る傾向があることを、マスコミの報じる事と自身で中国で感じるのに相当のずれが頻繁にある。この記事に関してもしかりである。日本製品は「過剰品質」や「高価高級」ではない。傲慢な感覚だ。「融通の聞かないユーザー無視の独断的製品」と言うに尽きる。「SIMロック」、「ダブルSIM対応」、「多国籍語対応」「SDカードスロット不足」、「読み取りファイル形式」、「日本メーカー独自ソフトで汎用性不足」、上げればきりがない。日本の製品は、このような面で硬直している。北京ではどんな外国人でも自由に自分の母国語や使える言語に表示を設定したり可能な「電子辞書」が有ったり、SIMを自由に交換したり増設したり、自由なSDカードはメーカー指定コンテンツソフトの呪縛もない。ファイル形式も自由度が大きく形式が多種に対応し、自分でパソコンから自分のファイルを入れる。「電子辞書」や「携帯電話」なのにその用途以外にいろいろ使える。MP3を聞きMP4やMPEGやDIVXで映像を見て楽しみ対応ビット形式も多種、ネットラジオを聴いて、相手のメールアドレス知らなくたって、電話番号だけでチャットを簡単にして約束したり。使い方が日本の製品と違い使いやすいのは、日本メーカー設計者の硬直した設計思想と、硬直した製品開発を指示する企業の傲慢さから発する。現役のときから。もう二十年も前から中国生活人に接し、痛感していたことが、今、このような現象として現実となっている。じつに情けないことである。著者は日本メーカーや企業/報道人の恵まれた駐在生活の中でなく、中国の社会に「溶解」するような生活を何年かやってごらんなさい。そうすると「真」が見えてくるはずである。北京で若い大学生の中で共に生活していると、何不自由なく豊かに生活している、日本の企業人やマスコミ人に「もっと表面ずらで無く日本に伝えてよ」と言いたくなる。

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