2012-03-27

人か名刺か (少了論資排輩,日本70后在中國多有發展)

人か名刺か

山田太郎=ユアロップ 代表取締役社長

 先日、上海に所用で行った際、多くの日本の経営者に会った。
「あなたも40歳ですか?」
「私も40歳です」
「僕は39歳です」
 中国で独立して働く日本人には、妙に38歳から41歳の人たちが多い。今40歳と言えば1971年生まれ。この年代の日本の人たちは、大学入試ではセンター試験が始まり、大学卒業時の22歳当時は1993年、バブル崩壊後のまさに就職氷河期だった。
 第二次ベビーブームも重なり多くの若者が国内で就職できず、海外を含めて多様な働き方を始めた人たちだ。だからか、中国で独立して働く人たちも40歳前後の人が多い。10年以上も中国で独立して働いている人がざらにいる。女性で独立して働いている人も珍しくない。
 日本の70后(中国語で1970年代生まれのこと)。まさに、日本をはみ出て海外に脱出した「和僑」なのだ。ちなみに筆者は、44歳であるが、私の就職時期はバブル期で、確かに私の周りに海外で独立して働いている人はあまり見かけない。たった4、5歳の差であるがバブル前とバブル後でこんなにも働き方に違いがあるのかと感じることがある。
 先日、上海で打ち合わせをした日本の吾人も40歳。で、面白いことを言い始める。
「中国の方が日本よりよっぽど仕事がしやすいですよ」
 なんと、我々日本勢が中国市場で悪戦苦闘しながら中国人と接してビジネスをしようとしている中で、70后の日本人達は、中国でのビジネスの方が日本でのビジネスより容易と言い放つのだ。
「中国では、下手なシガラミがありません。しかも中国人はフラットで、人を肩書で判断したりしないんです」
 会社を意識する我々日本人は、つい相手の名刺、すなわち社名や肩書を意識してしまう。有名な会社か、部長か課長か…
「先日も日本では、あり得ない商談を獲得しました。中国大手メーカーの主力製品の広告制作を全て任されたんです」
 そう語るのは、上海に来て独立した70后の若手経営者。5人で独立した、まだほんの小さな会社の経営者(老板)だ。
「日本なら、大手代理店がフロントに立ちはだかって、とても大手企業の広告なんて受注できません。でも、中国では違います。会社が有名であるとか、相手に肩書があるとか、関係ないんです」
 要は、相手の懐に入るかどうかが重要だということだ。会社対会社ではなく、人と人がビジネスをしているということだろう。
「実は、ビジネス上、フラットな関係は、中国に展開する日本企業にも当てはまるんです。ですから、日本では絶対に会ってくれないような人も中国では会ってくれて、仕事が決まるんです」
 肩書や権威を重んじる日本企業や日本人も中国現地では、現地のスタイルで仕事を進めているようだ。そして現地では老弱男女を問わず、様々な会合で日本人同士が接触をしている。最初、日本から中国に赴任してきたばかりで会社でふんぞり返っている日本人も中にはいるようだが、中国ビジネスのありように段々飲み込まれて慣れてくる。
 広州で働く70后の女性いわく、「日本に帰国して働こうと何度も考えました。でも日本に帰って働くのがイメージできなくて…」。彼女は、中国で大手メーカーの工場を立ち上げた吾人だ。見た目は、日本でどこにでも居そうお姉さんといった雰囲気である。
 日本では、「グローバル人材不足」だとか、「グローバルで働くために英語を公用語にする」とか、やたらグローバル企業を目指して社員教育を実施したり、社員のモチベーションを高めようとしたりする企業が多いようだ。けれども、熱心にそのような取り組みをしている大企業に限って、実は人を会社名や肩書で判断し、相手が中小企業だと何だか上から目線になってしまう人がたくさんいたりする。まずそこから考えなければ社員教育も何もなかろうにと、個人的には思うのである。

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少了論資排輩,日本70后在中國多有發展
  前幾天去上海辦事的時候,筆者遇到了幾位來自日本的經營者。
  “您也是40歲嗎?”
  “我也是40歲。”
  “我39歲。”
  在中國創業的日本人集中在38歲~41歲之間。現年40歲也就是1971年出生。這個年代出生的日本人大學入學趕上了中心考試開始的時候,22歲大學畢業時是1993年,又趕上了泡沫破滅后的就業低潮期。
  再加上日本第二次嬰兒潮的影響,這個時期出生的人,有大量無法在日本國內就業,而到海外就業。所以,在中國創業的各位也大都在40歲左右。不少人甚至在中國已經自己開公司10多年了。其中女性也不在少數。
  這些日本的70后正是沖出日本走向海外的“日僑”。順便一提,筆者雖說是44歲,但就業之時正值日本經濟泡沫期,筆者周圍確實很少有人在海外獨立創業的。雖然只是4、5歲之差,但在經濟泡沫破裂前和破裂后,就業情況竟然有如此大的差別。
  不久前在上海碰到的一位日本人同樣也是40歲。他跟我聊起了一個有趣的話題。
  “在中國做生意比在日本容易多了。”
  當日本企業為了與中國人做生意而在中國市場上苦戰的時候,日本的70后卻說在中國做生意比在日本容易。
  “中國沒那么多麻煩的條條框框。而且中國人對生意伙伴一視同仁,不會看人下菜。”
  注重企業意識的日本人總是會在意對方的名片,也就是公司和頭銜。公司名氣大不大,是部長還是課長……
  “前幾天我們在就拿下了一筆在日本根本不可能的業務。一家中國大型企業主力產品的廣告制作將全部由我們制作。”
  這番話出自一位在上海獨立創業的日本70后,是一家只有5人的小公司的老板。
  “要是在日本的話,大型代理商擋在前面,我們很難接到大企業的廣告。但中國不一樣。公司有沒有名氣、對方有沒有頭銜都無所謂。”
  關鍵在于服務或產品能不能令對方滿意。也就是說,做生意的是人和人,而不是公司和公司。
  “其實,就業務而言,在中國發展的日企同樣擁有平等的關系。因此,在日本絕對見不到的日企高層在中國也會親自接見我們,而且能談成業務。”
  注重頭銜和權威的日本企業和日本人在中國似乎也在入鄉隨俗。而且在中國,無論男女老少,在各種場合都能碰到日本人。起初,有些日本人剛來中國的時候還會在公司里擺譜,但他們逐漸就會被中國的業務模式所同化。
  一位在廣州工作的日本70后女士說:“我也想過好多次回日本工作。但我實在想像不出回日本該怎么工作……”她在中國創辦了一家大型工廠。她從外表來看極為普通,就像是日本隨處可見的普通人一樣。
  在日本,很多企業都高喊“缺少國際型人才”、“為走向全球把英語作為公司的官方語言”的口號,以成為跨國企業為目標對員工進行教育、提高員工的積極性。但也正是在熱衷此道的大企業中,很多人都在看公司和頭銜下菜,不把中小企業放在眼里。筆者覺得,如果不從這一點出發進行思考,員工教育什么的恐怕都是浮云。
(特約撰稿人:山田太郎,優樂福環球事業公司社長)